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終活の豆知識㉝(富士市のお葬式の歴史 前編)

 

富士市のお葬式の歴史(前編)

 

お葬式の変化サイクルは30年程度と言われております。意外に短いサイクルと思った方も多いと思います。日常生活の変化と共にお葬式のやり方もどんどん変わっております。今月と来月の2回に亘り、富士市のお葬式を振り返ります。本記事にあたり、駿河郷土史研究会の加藤会長をはじめ有志の方々や、市内の寺院ご住職様に貴重な意見を頂戴しました。この場をお借りして御礼申し上げます。

 

お葬式の歴史

お葬式は元々地域に根付いたものでした。今ほど人の転出入が活発ではなかった頃は、お葬式はその地区の人がお寺と一緒に執り行いましたので、葬儀屋は必要ありませんでした。葬儀屋は棺や装具を貸し出す程度の業務でした。地区の人が執り行うことから、その地区には椀小屋と言われる倉庫があり、そこには座布団・茶碗・炊き出し用具・簡易祭壇などがストックされていました。お葬式の際の準備は、地区の人が総出で行い、設営・運営・炊き出し・出棺(のべ送り)・火葬までを対応しておりました。近所の若い衆は、枕経(ご逝去後すぐのお経)依頼の為に、真夜中でもお寺まで走ることもありました。地区の誰かが亡くなった際には、遺族以外の地区の大勢がサポートする体制となっていました。村八分という言葉がありますが、八分の残り二分はお葬式のことあり、どんな状況でもお葬式は地区で行うことが慣習でした。

 

葬儀屋の出現

先にも述べた葬儀屋はいつ現れたのか。明治時代と言われています。明治は今のような通夜葬儀が確立しておらず、自宅から出発する葬列(野辺送り)が重要と考えられており、葬列準備のための手配業として葬儀屋が現れました。そして、大正になり告別式が始まり、昭和になり祭壇や葬儀告別式が生まれたと言われております。自宅でお経をあげる際に、供物を置いたりする棚が徐々に変化して、白木の彫刻作りで白木祭壇になりました。

 

富士市の独自文化

お葬式の文化は富士市内でも地区によって文化がありました。私は元吉原地区の出身ですが、元吉原や田子など海沿いの地区を中心として「はまおり」という慣習がありました。全国には、「浜降り」や「浜下り」というお神輿を担いで海に入る祭りがありますが、ここでのはまおりは、ご長寿の方がご逝去された場合、浜沿いの道で茶飯おにぎりや小銭を分けながら練り歩く行事でした。大渕地区を中心に山沿いの地区では「餅つき」の慣習がありました。昔は近くの方が亡くなるとご近所も三日間程度仕事を休んで手伝っており、その中で餅つきを行い、会葬者用にお餅を配っていました。その名残から、告別式の際に縁切り餅を口にすることもありましたが、現在では少なりました。また、お豆腐を配る慣習も一部にあり、夏でも冬でも今でいう冷奴を配ったそうです。なますをたくさんこしらえる地区もありました。

 

富士市のお葬式返礼品

お葬式に欠かせないのが返礼品。今では富士市でも全国的にもお茶が一般的ですが、その昔は日常品が一般的でした。お茶農家が多数ある地区はお茶でしたが、各家庭に今ほど食料や調味料が豊富になかった当時は、お米や調味料などの日用品が多く、各家庭で使ってもらえるものを配っていました。富士市大渕の一部地区はお砂糖が基本だったそうです。それらの品物は葬儀屋ではなく近所の商店が用意していました。また、現在では四十九日法要後に郵送するのが一般的になっている香典返しも、郵送が今ほど発展していない当時は、遺族が出向いて御礼と共に配っていました。現在の形は葬儀会館でのお葬式が一般化した昭和後半から平成にかけて広まった慣習です。商品ラインナップが多様化したのも葬儀屋が手配を行うようになってからであり、現在のようにギフト化したのは最近のことです。郵送が便利になってからは遺族が配り歩くのも少なりました。

 

かぐやの里メモリーホール富士は新しいスタイルのお葬式を提供しております。新しいスタイルとは、奇抜なものでは無く、今の時代に合った形と考えます。本文で記載の通り、お葬式はどんどん変化していきます。この時にベストなお別れの形はどのようなものか?それを模索して、遺族に提供します。形は変化しても亡き方への弔いの想いはいつの時代も変わりません。その想いは大切にしていきたいと思います。

 

富士市の火葬場

現在は富士市には富士市斎場の一か所となっておりますが、その昔は様々な場所で火葬を行っていました。霊柩車が無い時代は野辺送りで、棺を担いでいたので、土葬もしくは野焼きという形で長い時間をかけて地区の人が火の番をして火葬していました。その後、富士市内でも富士南地区や吉原地区の近辺など複数の火葬場が出来ました。そして時代の流れと共に、公共施設として昭和50年代に現在の富士市斎場が稼働するようになりました。

 

富士市の葬儀場所

先月にも述べたように、元々お葬式は地区内で地区の人たちと共に執り行う儀式でした。よって、故人の自宅が最も一般的でした。自宅で通夜を行い、野辺送りしてお寺に向かいそこで本葬を執り行う。それは、富士市に限らず全国各地でも同様の流れでした。昭和後半の経済発展から財や地位によって大きな葬儀が執り行われるようになり、それなりの場所が求められるようになりました。日本で最初に出来た葬儀会館は大阪府寝屋川市と言われており、それはボーリング場を改装したものでした。当初は「なんで自宅以外の場所で葬儀をしなきゃいけないんだ!」と非難されたそうです。しかし、大人数が収容できたり、遺族の自宅片付けも無くなることから、便利

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