終活の豆知識㉞(富士市のお葬式の歴史 後編)

富士市のお葬式の歴史(後編)

 

先月に引き続いて富士市のお葬式の歴史の後編です。富士市のお葬式の歴史を知れば知るほど、地元に改めて愛着が湧いてきたと語るのは、エンディングプランナーでかぐやの里メモリーホール富士の中村雄一郎さんです。前編はとても反響があり、以前のお葬式を思い出したと声が多数寄せられました。懐かしい文化の歴史を振り返ります。

 

富士市の火葬場

現在、富士市は富士市斎場の一か所となっておりますが、その昔は様々な場所で火葬を行っていました。霊柩車が無い時代は野辺送りで棺を担いでいたので、そう遠くまでは運ぶことはできませんので、地区内で土葬もしくは野焼きという形で、地区の人が埋葬または火葬していました。それは林であったり畑であったり。その後、富士市内でも鷹岡・広美・吉原・富士南・元吉原と、富士市に複数の火葬場が建設され稼働しておりました。そして時代の流れと共に、公共施設として昭和50年代に現在の富士市斎場が稼働するようになりました。ちなみに、世の中が車社会になってから霊柩車というもの登場しました。霊柩車の文化も時代の流れで生まれたものです。

 

富士市の葬儀場所

先月にも述べたように、元々お葬式は地区内で地区の人たちと共に執り行う儀式でした。よって、故人の自宅が最も一般的でした。自宅で通夜を行い、野辺送りしてお寺に向かいそこで本葬を執り行う。それは、富士市に限らず全国各地でも同様の流れでした。しかし、昭和後半の経済発展から財や地位によって大きな葬儀が執り行われるようになり、大きな場所が求められるようになりました。日本で最初に出来た葬儀会館は大阪府寝屋川市と言われており、それはボーリング場を改装したものでした。当初は「なんで自宅以外の場所で葬儀をしなきゃいけないんだ!」と非難されたそうです。しかし、大人数が収容できたり、遺族の自宅片付けも無くなることから、その便利さから葬儀会館が全国に広がりました。今や富士市もその多くは葬儀会館となっております。ここにきて小規模葬儀が求められ、改めて自宅や寺院で行うの家族葬も増えてきました。

 

富士市の葬送文化の急激な変化

前編でも述べたように、富士市内でも山側地区と海側地区ではお葬式の慣習が違っていました。しかしながら、今では地区ごとの慣習も無くなりました。無くなった原因は、先に述べた葬儀会館の出現です。葬儀会館でお葬式を行うことにより、市内どの地区の方も同じ内容のお葬式となりました。地区のやり方から葬儀会館のやり方にシフトしていきました。それは富士市に限らず全国的に言えることです。それでも、大きな流れは昔ながらに残る地域もありますが、現代では葬儀会館のスタッフが主導で進行することもあり、お葬式は常に変わっていきます。

 

その他の富士市のお葬式文化

様々な方に聞き取りした内容を端的にご紹介します。富士市内でも地区は様々ですが、いずれも昔は一般的に行われていた慣習です。

【炊き出し】

通夜の前に餅つきをして細長い餡子餅を作る。(あんびんもち・ちいちいもち)

通夜に作る料理は、おにぎり・お稲荷さん・おひら(がんもどき)。

出棺時にはたくさんのおにぎりを用意していた。

お酒は必ず出すものであった。

【組の手伝い】

お葬式前に組長にお金を預けて、会計の一切を任せていた。

柩を担ぐ人には草履代を渡していた。

お坊さんの読経後は、組の人がお経を行っていた。

手伝ってくれた人たちに、遺族が日当を渡していた。

お通夜は身内だけで執り行い、告別式は組内を含めて大勢で執り行った。

【野辺送り】

自宅の庭で3回まわってから出発していた。

葬列の長さで家の恪が決まると言われていた。

竹の筒にお金を入れてドスンドスンと叩きつけてお金が飛び散る儀式があった。

 

富士市のお葬式文化を募集

この他にもお葬式にまつわる様々な慣習があったと思います。ぜひ知っている慣習や経験した慣習を教えてください。貴重な富士市の葬送文化としてまとめたいと考えおります。 文面/富士市日乃出町161-6・電話/0545-52-7600

 

 

富士市の葬送文化を振り返って

かぐやの里メモリーホール富士を含めて、市内でも以前に比べて葬儀社が増えてきました。平成以降、地域の葬儀文化を変えたのは葬儀社です。それは時代の変化によるものです。そして、その葬儀社に従事するエンディングプランナーは、お客様との接点に立つスタッフとして、このような歴史は知っておくべきと考えます。新しいものをただ提供するだけでなく、古いものを知った上でより良い新しいものを提供する。そこには大きな差があると思っています。かぐやの里メモリーホール富士は新しい葬儀社ですが、スタッフ全員で富士市の歴史を学び、文化の背景を知りながら、今の時代に合ったご遺族にベストなサービスを提供していきます。温故知新の精神は、人が人を送る時こそ必要なものだと思います。結びに、この歴史を振り返るにあたり、駿河郷土史研究会の加藤昭夫会長やメンバーの皆様、市内の各寺院のご住職様に、大変お世話になりました。改めてこの場を借りて御礼申し上げます。