終活の豆知識㊷葬儀従事者から見た東日本大震災
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11年前の3月11日に起こった東日本大震災。去る3月17日にも余震とみられる地震が起こり、今もなおその出来事を鮮明に覚えている方も多いでしょう。「東日本大震災が私の人生観を変えて、葬儀社の存在価値を明確にした」と語るかぐやの里メモリーホールの中村雄一郎さんに、葬儀従事者から見た東日本大震災を語ってもらった。
震災発生時、私は練馬区役所におりました。当時は都内葬儀社に勤務しており、その手続きの最中に大きな揺れに合いました。大きな揺れで区役所職員も慌てふためく中で、その瞬間に待合にいた多くの方を机の下などに誘導したり、外に飛び出ようした人を静止したりと、富士市民として訓練してきたことが活かされました。富士市民の地震訓練度は高いと実感した瞬間でした。震災に備えていない首都圏の多くの方が慌てる中、都内は車両の大渋滞と帰宅人の大行進で大規模な交通マヒとなりました。
震災後に仙台に本社を置く東北で最も大きい葬儀社である清月記の要請を受けて、現地に飛びました。その葬儀社も、社員や建物も大きな被害を受けて、営業はできない状況の中で、行政と共に被災死亡者の対応に追われていました。現地では、瓦礫や泥の中からご遺体を発見する自衛隊、発見場所から大規模遺体収容所に移送する警察、そしてご遺体を火葬場まで運ぶ葬儀従事者と役割が振られ、私も葬儀社要員としてボランティアを実施。被災地では情報整理も難しく、様々なボランティアや物資の受け入れについても、統率を取るのが難しい部分があります。せっかくの貴重な支援をどこにどのように活用するのか、被災地での情報整理はリーダーシップが問われます。その中で、清月記は重要な役割を担っていました。
まず現地で行ったのは棺の準備です。ご遺体の保管と搬送には棺が必要です。全国各地の葬儀社から棺が送られてきました。形状や色合いも様々な種類がありますが、現地ではとにかく早く検品と組み立てを行い、未納棺のご遺体のもとへ届ける必要があります。不定期に送られてくる棺を積んだトラックが到着するたびに、昼夜問わず作業を行いました。このような葬儀社の物資調整も地元業者の受入れ体制が重要である実感しました。
日中は大規模遺体収容所から火葬場への搬送を行います。遺体収容所には多くの一般の方が来ています。それは、未だ見つかっていない親族が安置されているか探し求めてここまで来るのです。損傷の激しいご遺体は顔判別ができないので、遺留品・服装・発見場所などから判断します。遺体を探し求める遺族の姿を目の当たりにした時、弔うことすらできない苦しい心情を思うと、胸が張り裂ける気持ちでした。確かに収容所内は腐敗臭が漂っていますが、その時は我々を含めて作業する全員がそれすら気にならないくらい真剣にそして分単位で作業をする現場でした。私は、そこから火葬場にお連れするのですが、近隣の火葬場は震災被害で使用できずに、2時間半をかけて他県の火葬場へお連れしました。当時は都内の火葬場で火葬を行うなど、広範囲の自治体が受け入れをしていました。非常時において、火葬場もとても重要なインフラであることを改めて認識しました。
私も数十人のご搬送を行った中で、遺族がいらっしゃる方とそうで無い方がおりました。遺族がいらっしゃらない方については、遺族の代わりとしてお焼香とご収骨まで立ち会いました。遺族がいらっしゃる方はお一人だけ一緒に同乗して火葬場に移動します。その中で遺族の方が同じようにおっしゃったことは「見つかって良かった」ということ。普段のお葬式では考えないことですが、最後に会えたということに安堵を感じていました。お顔は見れずとも棺に手を当てて語りかける遺族の姿は今でも目に焼き付いています。大切な方と最後に立ち会えること、その尊い時間を創ることが、人と人との別れにおいて重要だと改めて実感して、お葬式とはその時間を創ることだと気づかされました。
被災後の非常事態時でも普段の日常時でも、大切な方とのお別れは突然にやってきます。お葬式を考える際に、宗教や費用など様々な段取りに気を遣うことがありますが、その前に故人との向き合う時を大切にしてもらいたいと思っております。そこに最後に過ごす時間を少しでも大切にするために、かぐやの里メモリーホールはこれまでこの地域に無かったプログラムでサービスを提供しております。震災での経験が、故人とお別れする意味を改めて気づかせてくれました。どんな状況下でも、心からお見送りをするため、家族をサポートし続ける姿勢はどんな時も変わりません。
かぐやの里メモリーホールは富士市と防災協定を結びました
市内で大規模災害が発生した際の防災協定(災害時応援協定)を富士市と締結しました。東日本大震災のボランティアを経験した身として、その経験が活かせるのであれば富士市そして市民の役に立てるのでは無いか。かぐやの里メモリーホールには、他にも同様に東日本大震災でのボランティア経験を持つスタッフがおります。起きて欲しくない災難ですが、もしその時に万全の動きができるよう備えて参ります。