東日本大震災13回忌 災害と葬儀について 終活の豆知識(53)

かぐの里メモリーホールのロゴ

今年は関東大震災から100年の節目を迎え、また東日本大震災の13回忌でもあります。災害はいつ何時に起こるかわからないもの。葬祭業者から見た災害について、かぐやの里メモリーホール代表の中村さんに聞きました。

目のあたりにした大震災

3月になると、2011年の東日本大震災を思い出す人も多いのではないでしょうか。当時、私は都内葬儀社に勤務しており、災害直後に宮城県仙台市にある大手葬儀社である清月記さんと連携して現地に入りました。

現地は混乱の最中で、行政も各団体も指示系統がままならず人も物質も整理が出来ていない状況でした。私は葬祭従事者という専門的立場から現地では「ご遺体用棺の組立と搬送」「広域連携する火葬場へのご遺体搬送」を行いました。

とにかく人手が足りないこともあり、当初一週間の予定を三週間の滞在に変更して現地で動きました。一応交代で休みもありましたが、その時間は個別ボランティアとして登録して町中や建物の泥さらいを行いました。現地では全ての人が必死に動き続けていました。

現地での気づき

震災直後の現場では、支援物資が届いてもどこにどのように活用するのかという流れも重要になります。組み立てた棺をどこにどのぐらい運ぶのかなど、各地の安置所との連携がうまくいかないと、かえって混乱します。

棺が有っても、ご遺体をどのように納棺して安置するのかなど専門的な知識も必要になります。各所において、整理誘導する旗振り役が大切だと実感しました。

今後もし不測の事態が起こった際に、この経験を活かせればと思うと同時に、私一人ではなく、行政の方や弊社のスタッフ全員が把握すれば、より大きな力になるとも思います。

葬祭従事者としての役割

現場では専門職者が適材適所で動くことが求められ、私はご遺体の搬送を担当しました。がれきから発見された方や、既にかなりの時間が経ってから発見された方は、どうしてもきれいな姿ではありません。我々が精いっぱいケアをしましたが、お棺のふたを開けて面会できる状況ではありません。それでもご遺族は棺に抱きつきながら涙する姿がありました。

このコロナ禍で同じように面会が出来ずに悔いが残る形で最後を迎える家族の姿がありました。お葬式という最後の時には儀式と共に、個人のお顔を見たり触れたりする時間が大切だと、この時に思うようになり、かぐやの里メモリーホールで行っている「お別れの儀」へとつながりました。

今後に備えてできること

震災という非常事態、ここ数年の感染症による非常事態をふまえて、かぐやの里メモリーホールも事業継続計画(BCP)の策定を行いました。

BCPとは、先のような非常事態や緊急事態の際に、早期に事業復旧や継続を図るための計画です。併せて、非常事態の際に我々が富士市のために、そして近隣の方々のために何ができるのか考えました。主だった内容として、

 ①遺体安置場所の提供

 ②棺や納体袋など遺体消耗品の提供

 ③生活消耗品の提供(一作年の大型台風による停電から多くに配布できるようローソク備蓄を開始しました)

 ④感染症対策消耗品の提供

 ⑤自社会館を避難所として提供—などが我々のできることです。


それと同時に、自家発電機の設置や防災グッズの設置はもちろん、弊社の全スタッフが緊急事態に備えて専門的なサポートをできるように社内訓練を強化するなど、常に意識を高めて動けるようにしていおくことも大切です。

最後に

震災や感染症によるパンデミックなど、ここ数十年で経験してきましたが、今後は別の非常事態が発生する可能性も十分にあります。

私が東日本大震災の現地で共に不眠不休で活動していた方々の中には、自分も、自身の家族も被災者であるにも関わらず、誰かのために動いていた方がいらっしゃいました。当事者にも関わらず誰もよりも動いていた姿に尊敬の念を感じました。

私もそうありたいと思い、利他の精神を日常から持ち続けたいと、毎年この時期に心を改めさせられます。何かあった時に頼ってもらえるよう、行動、知識、心を高めていきたいです。