エンディングストーリー 最後の作品展

かぐの里メモリーホールのロゴ

エンディングプランナー。それは、お葬式の儀式を滞りなく運営進行する葬祭ディレクターの役割に加えて、家族のために何が出来るかを考えて創り出すスペシャリスト。

100名いたら100通りのお別れを創り出し、悲しみの中にいる家族に寄り添います。これは、かぐやの里メモリーホールの、ある一人のエンディングプランナーの実際のお別れストーリーです。

あの日、秋の柔らかな日差しが差し込む中、一人の奥様がかぐやの里メモリーホールを訪れました。義理のお姉様の様態が思わしくなく、今後に備えてどこに依頼するかをご相談にご来館されたのです。

ご説明の後、ある程度ご納得いただいたものの、他のご親族とも相談してどこの葬儀社にするか決定したいとのことで、その日のご相談は一旦終了しました。数日後、奥様から再度ご連絡がありました。

ご親族と話し合った結果、もしもの時はかぐやの里にお願いしたいとのことでした。

数週間後、その時が訪れました。義理のお姉様がご逝去されたのです。

エンディングプランナーの中村雄一郎は夜の病院に駆けつけ、故人様をご自宅にご安置しました。

奥様にとって故人様は義理のお姉様であり、ご主人様のお姉様。そのご主人様は先に亡くなっており、「姉のことは頼んだ」というご主人様の遺言を守り、生涯独身だった義姉を支え続けてきました。

数十年にわたり共に生活し、最後まで支え続けた奥様の涙が、故人様への深い愛情を物語っていました。

翌日、中村はお葬式の打ち合わせに伺いました。まず、お寺様の儀式のことや葬儀費用について詳しく説明した後に、故人様の生涯に耳を傾けました。

奥様から漏れ出る故人様のお話は2時間にも及びました。

故人様は生涯独身でしたが、スーパーウーマンと言われるほど多才で、会社勤めのほか、ゴルフレッスンや裁縫などにも精進していました。手先が器用で、家のことも進んでやっていたそうです。

「これを見てください!これも本人が作った作品です!」と奥様が見せてくれたのは、ケースに飾られた美しいお人形でした。まるで既製品のようなそのお人形に、中村は驚きを隠せませんでした。

現役を退いた後、自宅でたくさんのお人形や裁縫作品を作っていた故人様。昔ながらの大きなミシンが彼女の相棒として活躍していたそうです。そこでたくさんの作品を作っていたのでした。

しかし晩年は施設暮らしで作品を作ることができなくなり、作品やミシンは静かに仕舞われていました。「ここでいつもお人形を楽しそうに作っている義姉の姿を今でも思い出します」と涙する奥様。

その姿を見た中村は提案をしたのです。「最後の作品展を開きましょう」と。

奥様や親族の協力を得て、自宅から運び出したお人形は1000体を超えていました。

紙や布で作られたそれぞれの表情や容姿が異なるお人形たちは、どれも素敵な作品ばかりでした。

かぐやの里メモリーホール富士のメイン式場には、奥様が故人様のためにエンディングプランナーと共に草案した花祭壇が飾られ、その両サイドから左右後方にもたくさんのお人形が並びました。

家族葬で行われた仏式のお葬式では、故人様と参列者全員が、彼女が心を込めて作った作品たちに囲まれながら別れの時間を過ごしました。

クライマックスとして、読経を終えた後、出棺前のお花入れがホール内で行われました。

たくさんの作品に囲まれながら、奥様は故人様のお棺に裁縫道具の一部と、彼女がずっと使っていた木製のものさしを手向けました。「これからも天国で沢山の作品を作ってね」と言葉を添えながら、故人様の旅立ちに大切な品々を手向けたのです。

お葬式に参列した全員が、故人様が素敵なお人形を作っていたこと、それを楽しんでいたことを知っていました。故人様の嬉しそうな姿を思い出しながら、皆が心からのお見送りをしました。

 

後日、その作品を自宅に戻しに伺った際、奥様は中村にその作品を譲り受けてほしいと言いました。中村は喜んで作品を受け取りました。

その作品は今でも手元にあり、優しい表情で微笑んでいます。