エンディングストーリー ③思い出の暖簾をくぐって
エンディングプランナー。それは、お葬式の儀式を滞りなく運営進行する葬祭ディレクターの役割に加えて、家族のために何が出来るかを考えて創り出すスペシャリスト。100名いたら100通りのお別れを創り出し、悲しみの中にいる家族に寄り添います。これは、かぐやの里メモリーホールの、ある一人のエンディングプランナーの実際のお別れストーリーです。
長年ご夫婦で営まれていた居酒屋は、近所にお住いの方々や周辺の会社の方々に愛されていました。暖簾をくぐると、いつもお父様の温かい笑顔が迎えてくれました。
そのお店こそが、お父様の人生そのものであり、お父様の魂が宿っている場所でした。
エンディングプランナーの野田は、お父様が最後の瞬間まで愛され続けたことを心に刻み、その最後を全力でサポートしました。お父様の人柄が滲み出るような優しさと、職人としての誇りを持つ姿を目にし、野田自身も心を動かされていました。
ある日のこと、ご長男様から一本の電話がかかってきました。「これまでずっと元気だった父親が入院してから体調が良くならずどうすればいいのかわからない」とのご相談でした。コロナ禍で葬儀の形も変わり、困惑されている様子でしたので、お仕事が終わった後に事前相談を行い、流れや費用について丁寧に説明しました。
ご長男様はその対応に安どの表情を見せましたが、その後しばらくして、お父様が息を引き取られたと悲しい連絡が入りました。深夜、静まり返った病院へお父様を迎えに行きました。人通りのない駅南通りに、故人様を乗せた寝台車が店舗を兼ねた自宅に静かに到着しました。
深夜にもかかわらず、家族全員が集まり、お父様をお店の小上がりの畳へ安置し、お参りをされました。「やっとお店に帰って来られたね…」と、家族は涙ながらに語りかけていました。お父様が体調を崩してから、お店は閉じたままでした。お父様が居ないお店は、その賑わいを失い、静かに時を過ごしていたのです。
翌日、野田は再びお伺いし、家族と打合せを行いました。30代で開いた居酒屋。実は読書好きで歴史に詳しく、大好きな勝海舟からお店の名前をもらった話、家では頑固者でしたが、お店では気さくにお客様と話をしていた姿。美味しいものを提供することに妥協を許さない職人魂。家族が最も印象に残っている姿、それは「お店に立っている姿」でした。
これらの話を一つ一つ丁寧に聞きながら、野田は「お店に立つ姿で見送りましょう」と提案しました。
早速に野田は再び大きな車で自宅に向かい、お店のテーブルや椅子、並んでいたお酒やメニュー表など、お店で使っていたものをたくさん借りてきたのです。賑わっていたお店の雰囲気を葬儀場内に再現し、最後のお父様の空間を作り上げる準備をしました。そして生花祭壇の傍らには、お店の品々とポスターサイズに拡大した店内とお父様の写真、そしていつもの作務衣が置かれ、お店の主としての姿がそこにありました。
弔問に訪れた親族、ご近所の方、長年のお客様たちは、かつての大将の姿を思い出し、元気で明るいあの大将の記憶が蘇りました。
そして告別式の最後に、野田が取り出したのは日本酒でした。お父様はお店を閉めた後、一人で一杯飲むのが日課でした。賑やかだったお店を片付けた後の静かなひととき、それが明日への活力となっていました。
「いつもと同じようにお酒を、皆様からの感謝の気持ちを込めて献酒してあげてください」と、日本酒をグラスに注ぎました。百合の花びらを使って、奥様や子供たちがお父様の口元へ最後の一杯を捧げました。お酒を口元へ運ぶ家族の手には、深い感謝の気持ちが込められていました。人生をかけて守り続けてきたお店と家族に囲まれて、お父様は静かに旅立っていきました。
その時、野田の胸にも温かい感動が込み上げてきました。
お父様の人生の一部となった居酒屋、その場所が持つ特別な意味を感じづにはいられませんでした。野田は心の中でお父様に「お疲れ様でした」と、静かに感謝の言葉を捧げました。お父様が残した愛と絆は、これからも家族とお店を支え続ける事でしょう。